開院して1週間がたちました。
少しずつ患者さんの流れもスムースになってきましたが、さらに改善が必要です。
5時を過ぎたころになると、学生さんたちの来院が増えてきました。本日も地元の弓ヶ浜小学校、中学校や米子高専の生徒さん達が受診して下さいました。学生さんたちが来ると待合の雰囲気が変わり、新鮮な感じがしました。少しずつ地元の方々に溶け込んでいけたらと思います。
開院して1週間がたちました。
少しずつ患者さんの流れもスムースになってきましたが、さらに改善が必要です。
5時を過ぎたころになると、学生さんたちの来院が増えてきました。本日も地元の弓ヶ浜小学校、中学校や米子高専の生徒さん達が受診して下さいました。学生さんたちが来ると待合の雰囲気が変わり、新鮮な感じがしました。少しずつ地元の方々に溶け込んでいけたらと思います。
水、木、金、土曜日と無事診療が終わりました。診察する患者さんが初めての方々であったため、診察に時間がかかり、随分と待っていただくこととなってしまいまい、患者さん、スタッフには遅くまで迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした。
明日はやっと休みですが、備品を揃えたり、カルテの整理などゆっくりしたいと思います。
来週も宜しくお願いします。
日付が変わりましたが、昨日予定通り開院できました。
手伝いに多くの方に来ていただき助かりました。手間取ることもあり、患者さんに待っていただくことがありましたが、各スタッフのフォローのもと診療を終えることが出来ました。
早速に近隣の医院や先輩方から患者さんを紹介していただき、誠に感謝しました。
勤務医時代は初診で来ていただいた患者さんは労災病院に来ていただいたという思いで診療していました。本日診療した患者さんは山崎整形外科を選んで来ていただいていた方々です。近隣の方々に多く来院していただき、また労災病院で治療していた患者さんも来られ、なんとか選らんで来ていただいた方々の気持ちに応えたい、楽になって頂きたいとじっくり診療していきたいと思いました。
至らぬ点は皆で改善していきたいと思います。本日はありがとうございました。
今日もスタッフに出てきていただき準備とシュミレーションをしました。
スタッフの緊張も少しずつとけてきてるようで、今後、実際に患者さんに対応し自信がつけば全く問題ないと安心しました。
シュミレーションとはいえ、スタッフを相手に模擬診察をしていると、自然とこれまでの感覚が戻り、普通に所見をとりカルテに記入でき、違和感なくクリニックでの診察ができると思えました。
これまでしてきたことと同じような外来環境が準備でき、さらにリハビリスタッフと受付も想像以上に頑張ってくれ、山崎整形外科クリニックとして体制が整いました。ここまであっというまだったのが実感ですがなにも心配しておりません。
労災病院の病棟の看護師さん達から頂いた信楽焼の置物です。当院のスタッフに大好評です。
スタッフともども焦っていますが、準備を進めています。私だけでなく皆と危機感を共有出来ていることが幸いです。良いスタッフに恵まれています。
今日は両三柳の堤消化器・内科クリニック(http://www.tsutsumi-clinic.jp/pc/index.html)の堤先生が見学に来てくれました。堤くんは大学の同級生で、学生時代から仲よくしており、いろいろ話をきくことができ、とても参考になりました。
クリニックは朝から忙しく、大型家具の搬入、看板設置、有線テレビ工事などに加え、薬剤の棚入れ、片付け、洗濯などをしながら、シュミレーションをしていました。いろいろ足りないないものが出てきたり、申請が不十分だったことの手続きなどバタバタと用意していました。スタッフが手分けして買い物にいってくれており助かります。
明日一日あれば何とか診察をスムースに行えそうです。
皆が心配してくれますが、体調は万全です。
2日目の内覧会となりました。初日に比べるとスタッフも私もリラックスして迎えることが出来たと思います。懐かしい同僚や患者さん、わざわざ岡山から幼少の頃の知人もお祝いに来てくれました。感謝の二日間でした。
明日からは本格的に開院に向けての準備となります。スタッフもみな、気合いが入っており頼もしい限りです。
クリニック内が花屋さんみたいになっていて、良い匂いがしています。
内覧会の初日が無事終わりました。第一号は、8時過ぎになぎら後輩が夫婦で花を持っていてくました。地域の方や医療関係者、先輩、後輩にも大勢来ていただき感激しました。また長年診療していなかった患者さんが突然にお祝いして下さり、驚きあらためて身の引きしまる思いがしました。
訪れて頂いた方々から貴重なご意見をたくさん頂戴しました。今後の診療体制の向上に役立てたいと考えます。
内覧会が終わった後、山陰労災病院に知り合いの見舞いに行きました。土曜日は休診日ですが、救急車がきていて、多くのドクター、スタッフが懸命に働いていました。3月まで勤務していた病院ですが、改めて色々な思いが浮かんできました。
今日は電子カルテのインストラクターの方に来ていただき指導していただきました。これまでまったくかまっておらず、不安な部位でしたが特に問題はなく準備出来そうでした。
内部の仕上げの追加工事もしていただき、テレビの壁掛けなどが完了しました。直前になって分からない部署もあり、今日もスタッフにやまもと整形外科クリニック(http://yamamoto-seikei.jp/)に研修にいってもらいました。大変お世話になり、ありがとうございました。
日中はこれまでにお世話になった方々が挨拶に来ていただき、夜には以前の職場のレントゲン技師の大さんが来てくれ、レントゲンの設定や備品などを差し入れてくれました。
多くの方方々のおかげで準備が進んでいます。スタッフも頑張ってくれています。後は私が努力します。
今日はスタッフにも出てきてもらい、一緒にレントゲンの操作説明やリハビリ器械の操作を教えていただきました。これまでの施設と同じようにレントゲン写真が撮れた時には感動しましたし、スタッフがリハビリ器械を実際に体験し、心地よさそうにしてるのをみて安心しました。
少しずつ診療できる体制となってきましたが、もう少し仕上げが必要な状況です。明日からは電子カルテの訓練とシュミレーションを行い、開院後には出来るだけ患者さんにスムースに診療を受けていただけるよう工夫していきたいと思います。
いろいろな業者さんが沢山こられ、混乱しつつありますが、4月20日に滞りなく診療が開始できるよう皆で努力しています。先輩や知り合いの方々から贈り物を頂くこともあり恐縮しています。誠にありがとうございます。
昨日は労災病院最後の送別会をしていただきました。退職して約3週間ですが、ひどく久しぶりな感じがして、はじめは緊張していました。勤務し始めたころからお世話になった主任さん、看護師長さん、同僚だったスタッフに沢山集まって頂き、話をしているうちに、一緒に仕事をしていたころの感覚になり、労災病院よかったなと改めて思いました。最後の送別会が終わり、労災病院勤務が終わったと実感でき、新しいクリニックの開院にむけて切り替えが出来ました。
各部署や同級生の沢山の同僚の方々に送別会をしていただき、感激していた3月でした。
これからはこのブログも最新の近況を報告していきたいと思います。
3月になりました。ついこの間のことですが、随分昔のようです。
勤務最後の月となりましたが、手術が必要な患者さんが多く、開業準備は一休みし、最後の診療にあたっていました。最後の当直、最後の手術、最後の外来と勤務医生活の総決算となりました。
今後も外来診療は続けていけますが、当直と手術は出来なくなってしまいます。
当直していて夜中に来院される患者さんは、日中に来る方に比べ、どうしても切羽詰まり、不安をかかえた方が多くなります。緊急入院や手術となる患者さんもありましたが、処置をすることで、安心して帰宅される方も多く、体力的にしんどいこともありましたが、医師としてやりがいのある仕事でした。
整形外科医として、手術は治療として最後の手段です。外来で診療している患者さんを最後まで治療するには、これまで当たり前に手術をしてきました。最後の執刀は腰椎椎間板ヘルニアの患者さんの手術でした。もう手術をすることはないのかなと考え、色々な思いがありましたが、通常通りに手術を終えることが出来ました。
勤務医としてやり残したことはあります。でも今後何十年続けても退職するときには同じ思いをすると思います。これまで先輩方に指導いただいた経験を生かし、自分なりに理想としていた診療をするために、開業をします。
あっとゆうまに2月になりました。このころは病院勤務があとわずかとゆう寂しさと、クリニック開院とゆう重責を感じていました。
そんな2月上旬に地域の方々へのご挨拶の目的にお餅撒きをしました。当日は好天に恵まれ、多くの地域の方々や病院の同僚などに来ていただき、感激しました。監督の注意事項の後、みなさんに挨拶をし、お餅を配りました。予想よりも多くの方々に来ていただき、お餅が十分に行き渡らず、申し訳ありませんでした。
2月末には予定通り工事が完了し、引き渡しとなりました。監督から鍵を受け取り、自分で建物の中に入るようになりました。これまではリンクスさんの建物とゆうイメージで安心してまかせていましたが、自分のもちものとなり、ここからまた重責が大きくなった2月引き渡し後でした。
年末には窓、ドアがつき、勝手に建物の中に入れなくなりました。仕事帰りに外から建物を眺めていました。
年末年始は記録的な大雪となり、工事の進行具合が気になりましたが、工程通りに工事は進んでいました。
池田監督にも「大丈夫です」との言葉を頂き、杵村所長の提案のもと、内装、家具などを決定していきました。
建物は順調に建っていき、リハビリ機械や家具選びを行い始めました。いずれも高い買い物ばかりでしたが、診療が忙しくじっくり考えられないまま、どんどん決めていく状態でした。
スタッフを決め始めたのもこのころからでしたが、病院に夜遅くに来ていただき外来で面接をして決定していました。さすがにスタッフを決めるのはじっくり考え、良いスタッフに来ていただくことができ、喜んでいた1月でした。
11月月には鉄骨が組まれ、シンボルである三角の屋根が組まれました。このころは毎日工事、進展が分かり、仕事帰りに真っ暗ななかで、現場を見学していました。基礎工事のころよりも、建物が大きく感じられるようになり、ワクワクしておりました。
現場では細かな決定をしなくてはならないことが増え、休みの日に現場のプレハブの事務所で何時間も業者さんに集まってもらい、検討していました。
杵村所長に、さまざまな提案をしていただいたおかげで、満足のいく建築となっていきました。迷った時には池田監督にも、率直なアドバイスを頂くようになり、順調に工程が進んで行きました。監督はいつもおそくまで事務所におられ、仕事帰りなどに立ち寄って相談することも多くなり笑顔で会話ができるようになった11月でした。
ある日突然に大きな重機が次々と現場に入り、大工事をしていました。休日も多くの作業員の方に作業をしていただいており、見学に行くたびにどんどん工程が進んでいくのがわかりました。
作業をみていると、なにかとてつもない大事業を手掛けている気がしてきて、不安な気持ちがでてきたのもこのころからでした。
この年の夏は記録的な猛暑でしたが、暑い中も慎重に順調に作業をしていただきました。
電子カルテやレントゲン機械もこのころに決定しました。なんとなく開業後の診療のイメージがわいてきた10月でした。
設計もきまり、施工業者さんは「リンクス」に決まりました。工程はテンポよく進み、9月に地鎮祭をしました。ひどく暑い日でテントの中に大型の扇風機を設置していただいていました。大変おごそかな式で、身のひきしまる思いがしたのを覚えています。
この日はじめて現場監督の池田太一さんに会いました。印象は無口で話かけにくい感じでしたが、若々しく頼もしい方でした。2月末の完成を目指し工事がスタートしていきました。
このころには銀行のこと、土地の登記のこと、建物設計などがだいたいめどが立ち気持ち的には一休みといったところでした。山陰労災病院での診療があくまで中心でしたので、夜遅い時間などに関係者の方などには打ち合わせの時間を作っていただきご迷惑をかけておりました。
開院場所が決まってからは設計士さんにお願いし、建物の設計をお願いしました。
設計は「杵村建築設計事務所」の杵村優一郎所長にお願いしました。
細かな注文や無理なお願も聞いていただき、イメージ以上の建築となり、とても喜んでいます。
昨年の7月には土地の造成も終わり、全容が見えてきました。
昨年の春の医院開業予定地の様子です。
土地の取得の交渉は夜見町の不動産屋さんの「アイエステート」の赤山社長に大変お世話になりました。飛び込みで訪れた私に、とても親身に接して頂いたうえ、大阪まで行って、地主さんへの交渉などもしていただきました。当地で開業できたのも赤山社長のおかげです。なんとか土地を確保することができました。
開院まで2週間となりましたが、まだまだ準備不足で不安があります。今日はスタッフと一緒に山陰労災病院の先輩である米原の「やまもと整形外科クリニック」で研修させていただきました。山本先生には今回の開業にあたり、沢山のアドバイス、指導を頂き誠に感謝しています。
ブログを通じて当院の雰囲気を多少でも知っていただければと思い、出来るだけ更新をしていきたいと思います。引き続き宜しくお願いいたします。